そういえば2013年5月8日の日本経済新聞スポーツ欄の記事をストックしておいたのだった。

 1993年5月15日に開幕したJリーグが20周年を迎えようとしている。地域に根を張り、豊かなスポーツ文化の振興を目指すJリーグの誕生で、この国のスポーツに新たな思想や価値観が生まれた。Jリーグによって日本はいかに変わったのか。

 J2ファジアーノ岡山の社長、木村正明(44)は野球をしていた少年時代、寂しい思いをしたという。「隣の広島にはカープがあるのに、どうして岡山にはプロチームがないのだろう」

 だからなのかもしれない。2006年、故郷の友人から、まだ中国リーグにいた岡山の社長就任を懇願された際、「都市間競争として成立しているJリーグの仕組みにひかれた」という。確かにJリーグ誕生までは日本のプロスポーツ界に、その構図はなかった。

 ゴールドマン・サックス証券の執行役員を辞し、岡山の社長としてJリーグ入りを目指すに当たり、木村は県民に「応援できるチームがなくてもいいんですか」と問うた。スポンサー営業のため地元企業の朝礼に次々と顔を出し、話す時間をもらうと、いまでもこう語りかける。「岡山のために力を貸してください」。決して「サッカーのために」とは言わない。

 「故郷のために」という言葉は心の琴線に触れるのだろう。きめ細かな営業の成果でもあるが、06年に6社しかなかったスポンサーが500社を超えた。06 年に約400万円だった総収入は12年には約8億2000万円に。週4日、岡山駅、県庁などで職員総出のビラ配りを徹底していることもあり、1試合平均入場者もJ2入りした09年の6162人から12年の7985人へと増え続けてきた。

 社長就任早々、 わずか5人だった職員で合宿を張り、「このクラブは何のために存在するのか」を議論し尽くした。「地域のために」「子どもたちに夢を与えるため」という答えが出た。

 その答えは特別なものではないが、掲げた理念を大切に守っているから岡山は着実に成長してきたのだろう。木村は「すべての経営判断を、この理念に沿うかどうかで下す」。新たな事業が提案されたら、それは地域の子どもに夢を与えることになるのかと熟考する。

 昨年は子どものサッカー教室を170カ所で行った。Jリーグ昇格前からスポンサーに「夢パス」という形で入場券(今季は8000人分)を買ってもらい、希望する小学生を招待している。

 攻守の切り替えが速く、きびきびとして、最後まで戦い抜くチームのプレースタイルも「子どもに夢を」の理念にのっとったものだ。しっかりした人格を持つ選手を時間をかけて鍛えて戦う。その姿勢が地元の支持者を増やす。

 地域の支持がなければ、大企業の後ろ盾のないクラブは生き残れない。文字どおり、地元住民、企業が払ってくれる入場料、協賛金で選手がプレーする。木村はこう解釈している。「Jリーグの主体は地域であり、実はその地域がどれだけ頑張れるかを競っている」

 Jリーグの発足と同調するように、日本の伝統である企業スポーツが衰退の一途をたどり始めた。「Jリーグができたことで、地域が支えるホームタウン・スポーツにシフトする流れができた」と木村は話す。地域の人々が応援できる「町のクラブ」が次々と生まれている。

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  いつの日か「まだデッツォーラもあの頃は中国リーグにいたんだよ」と言えるだろうか。