デッツォーラ島根のネタが。。そんな時はこんな時のためにストックしてたものから引用しかない。。工藤公康「向上心 米野球に学ぶ」日本経済新聞2012年5月15日37頁スポーツ欄

 プロ3年目、西武時代の1984年の夏に広岡達郎監督(当時)から米国行きを命じられた。向かったのはカリフォルニアにある1A、サンノゼ・ビーズ。青山道雄さん(現ロッテ2軍監督)ら8人ほどでの武者修業だった。

 驚いたことに1Aの選手たちはほとんど練習をしなかった。もちろん怠けているのではない。毎日のように行われる試合だけで評価され、結果が出なければ1週間や10日でクビになる。とんでもなく厳しい世界だった。

 米国で私は抑えを任された。と同時にそれまでストッパー役を務めていた投手の姿がなくなった。中継ぎなど他で投げれることもできたはずなのに、と思うのは日本野球の感覚。ベースボールの世界では選手はパズルのピースにすぎないのだ。

 ひとつの”場所”にはまる人が現れれば今までいた人はもういらなくなる。「育てる」なんて発想はなく、「使い捨て」といっていい環境に置かれる。選手は試合でひたすら結果を残すことに注力する。だからこそ「自分は明日も野球ができる」という喜びを感じるのかもしれない。

 クビを言い渡された選手の誰に聞いても返ってくる答えは一緒だった。「あきらめないよ。また練習して、トライアウトを受けて、必ずアメリカン・ドリームを手に入れるんだ」

 彼らを見ていて、自分が恥ずかしくなった。日本での私はそのころ、朝から晩まで野球漬けの生活を送っていた。毎日20㌔は走り、200球を超える投球練習をしていた。それでも「このまま終わっていくんだろうな」という不安がぬぐえなかった。日本一厳しい練習をしても足が速くなるわけではなく、スピードボールが投げられたり、コントロールが良くなったりしたわけでもない。ただ毎日の練習や試合をこなしているだけの選手だった。

 今思えば、プロの練習をしていればいつか良くなるという甘い考えだった。他人にやらされるのではなく、自分から立ち向かっていかなくてはいけないのに「どうせオレなんか」とあきらめが先に立っていたのだ。

 野球の本場で学んだのは、自分を高めようとする意志だった。ダメな自分を丸ごと受け入れて、それでも己の可能性を信じ続ける。強いモチベーションが生まれるのは、サバイバルにさらされた環境があればこそだ。

 球にスピードがないのなら、筋力などパワーをつければいい。コントロールが悪いなら、良くするために何が必要かを考えて、まず動くことだ。とにかくやること。心の持ちようひとつで、人は変わることができる。

 日本球界は1週間でクビになるほどの環境ではない代わりに、自分を高める時間の余裕がある。あきらめず、くよくよせず、何より非力さを他人のせいにしないことだ。

 

クビを言い渡された選手の言葉がよい。

 

デッツォーラ島根の選手達の写真。出来る限りアップのものを。新旧織り交ぜて。ダブってる可能性もあります。

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過去。

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現在。

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観戦マナーを忘れずに。

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